世代を超えて、時代を超えて
―ある日、ある時、先輩と後輩―(第四回)
投稿日:2020年6月28日(日) 投稿者:京浜同窓会事務局
第9章 「その後4年を経て、3度目の対談」
2019年8月5日 東京大学本郷で対談を行った。
菅:まず植田さんのほうで、前回の2度目のミーティング(2016年10月29日)以降の、日本におけるポスドクの状況や、前回言い忘れた、ドイツでの博士課程の経験などについて、話していただきたいと思います。そして私の方の話もしたあとで、現在問題となっているポスドク問題について議論したいと思います。まず、ドイツから帰ってきてからの、日本における研究生活や研究内容についてお伺いしたいと思います。
植田:前回2回目のミーティングの時は、ドイツで博士課程を終えて日本に帰国してからちょうど1年経った時期でした。今はそれからさらに3年が経過して、ポスドク生活が4年目に入ったところです。ドイツには2012年の5月から2015年の9月まで、3年半住んでいました。博士課程時代の研究テーマは、どのようにして環境ストレス耐性の強いイネを作るか、環境ストレス条件下でどのようにして米の収穫量を高めるか、というものでした。具体的には、大気汚染物質であるオゾンが植物において引き起こす酸化ストレスに関するテーマで、どのような遺伝子がそのストレス耐性に関わるかという研究を行っていました。ドイツから日本に帰国した後、半年間、茨城県つくば市にある、国際農林水産業研究センターで研究に従事し、そこで植物の栄養に関する研究を開始しました。
ドイツでの博士論文広聴会(植田氏)
菅:そこにはポスドクの立場で入られたのでしょうか?
植田:はい、そうです。その後、現在勤務している東京大学の生物生産工学研究センターに採用いただき、特任研究員として研究を開始しました。現在も植物の栄養に関する研究を行っています。具体的には、どのようにして植物は土壌中の窒素やリンなどの栄養素を認識し、吸収量を調節し、利用しているのか、というメカニズムに関する研究を、イネと、シロイヌナズナというモデル植物を用いて行っています。初めの2年間は研究室の先生のプロジェクトで雇用していただいておりましたが、昨年度から日本学術振興会の特別研究員として採用され、研究費をいただきながら研究することができております。
菅:2つのポスト共に任期のあるポスドクのポジションですね。日本に帰ってからいくつか論文を書かれましたか?
植田:研究室の先生から、総説論文の原稿を書かせていただく機会を何度か与えていただきましたが、肝心の研究論文がまだ出せておりません。現在、雑誌に投稿して返ってきた査読コメントへの対応を行っており、今年度中には現在取り組んでいる研究論文に加えて、別のテーマの研究論文も完成させなければと思っているところです。
菅:その他の論文はこれまでにどれほど出されましたか?
植田:東大大学院修士課程時代に書いたものが1本と、ドイツでの博士課程の時代に書いたものが4本あります。
菅:ドイツの博士課程で研究論文4編というのは成功でしたね。日本の修士での研究テーマとドイツでの研究テーマは関連がありましたか?
植田:修士も博士も非常に似た研究テーマに取り組ませてもらうことができました。修士論文の副査の先生とドイツでの博士課程受け入れの先生がもともと知り合いで、その副査の先生からドイツでの博士課程のポジションを紹介していただいたという次第です。
菅:その先生から、博士課程は国際的視野を得るために海外でやった方がよい、そのためにはドイツのこの研究所に行くのが良いだろう、と強く推薦されたわけですね?
植田:その先生からはそれほど強い推薦があったわけではなく、ドイツでの博士課程に関する案内をいただいただけでした。ただ、自分の中で、研究は続けたいと思っていたのと、もともと英語が好きだったので人生で一度は海外に住みたいと思ったのと、あとは、金銭的に自立したいという思いがありました。世界的に見ると多くの日本の大学院と違って博士課程の学生は給料や奨学金をもらうのが一般的なので、研究ができて、海外に住めて、金銭的にも自立できるという条件は非常に魅力的でした。