(バックに写る書は元鹿苑寺執事長、江上泰山師に揮毫頂いた「雨ニモマケズ」)
北野 譲治 昭和56年(1981年)卒
イーパーセル株式会社 代表取締役社長・CEO
朝日ゲノミクス株式会社 代表取締役社長・CEO
岡山朝日高校卒業からの道のり
私は、1981年に岡山朝日高校を卒業したが、その年は浪人生というカタチで人生初の辛苦を舐めた。クラスメイトで今も40年を超えて親交を結ぶ小川誠司君(東大理Ⅲ→京大医学部教授)と共に東京の駿台予備校で一年間の浪人生活を送ったことが懐かしい。努力の甲斐あって翌年には何とか早稲田大学理工学部建築学科に滑り込んだものの、大学生活の殆どをアルバイトに費やした。大手企業に就職活動する友人らを傍目に大東京火災の起業家プログラムに応募し、社会人の第一歩をスタートした。以来5年のトレーニングを経て保険ディーラーを起業。順調に業績を伸ばしていた20世紀最後の年、米イーパーセル社にスカウトされ更なる活躍の場をIT業界に求めた。現在、オーナー兼グローバルCEOとして、全世界に『電子物流サービス』を提供している。
我が社が、Google、Yahoo!など米・巨大IT企業を相手に特許侵害訴訟で和解を勝ちとったことが数多くのメディアで取り上げられたが、それは私が半白を迎えた年のことだった。岡山朝日高校時代は、「人生は無限に広がり続ける」と信じて疑うことがなかったが、歳を重ねてみれば一転、「人生は有限だ」と気付かされ、その頃から、公に尽くしたいという情熱が止められなくなった。因みに、私の生涯の師、歴代首相の指南番と云われた四元義隆先生は「君ね、若い時の情熱は止められないんだ!」とよく私に語った。私は若い頃に大いに怠けたのだろう、此の歳になって先生の言葉が胸に刺さる。
刎頸の友、小川教授が発見した「がん細胞が免疫から逃れるメカニズムの解明」と題する学術論文が英科学誌「NATURE」に掲載されたのは2016年5月のことだったが、その技術を応用したがんの新しい治療法を確立してみないか、と彼からの誘いを受け、翌年の夏に社名を『朝日ゲノミクス株式会社』とするバイオベンチャーを共同創業し微力を尽くす毎日である。もちろん、社名は岡山朝日高校に因んだ。また、今年3月からは、公益社団法人鹿児島共済会副理事長として傘下の南風病院を舞台に地域医療に貢献したいと汗を流している。いうまでもなく、四元義隆翁のご縁だ。
「正しいと思うこと」へのチャレンジ
歴史の教科書で学んだ「大化」に始まるわが国の元号は、長く親しんだ「平成」から「令和」へと変わり新時代を迎えたが、令和2年(2020年)は、人類が生存を賭けた闘いの幕開けとなった。中国・武漢市を発生源とする新型コロナウイスが世界中で猛威を振るうという筋書きのない危機が迫りくる中、欧州各国や米国のロックダウンに続き、我が国でも〈緊急事態宣言〉が発出された。
迫りくる危機に対して諸外国のリーダーたちが発する言葉には、「事態を的確に認識し、迅速な決断によって行動を起こし、結果責任を明確にする」という哲学と覚悟が滲み出ていたし、知識と経験の泉のような人と評されるアメリカ国立アレルギー感染症研究所のアンソニー・ファウチ所長の事実と科学に基づいた発言には、医療者として、更に真の科学者としての矜持が感じられた。
一方、我が国に目を転じると、今次の国難に直面したリーダーの指導力には国内はもとより国際社会からも大きな疑問符が付けられた。今こそクールな科学者の知見が最も必要な時に何故か、科学的根拠に乏しい政治判断が行われていたからだと思う。
この頃から、私は目に見えぬ危機と向き合う日本国民のひとりとして、社会への貢献を真剣に考えるようになった。大量にマスクを調達して全国の古社寺、病院、学校などへ寄贈したことは無駄にはならなかっただろうが、社会全体への貢献には程遠く限界を知るだけの結果となった。経営の参考にするドラッカーに従い、盲目的に「できること」から始めるのではなく、自分が「正しいと思うこと」にチャレンジしてみようと決心した。哲学的思考に支えられた日常の自分を一気に科学的思考優先に切替える必要があると考え、小川教授の手ほどきで医学者サークルに飛び込んで科学者相手に試行錯誤のトレーニングを開始した。すると、彼らは、私を、異次元の世界へと導いた。
コロナ制圧タスクフォース
喫緊の最重要課題は「医療崩壊を防ぐ」こと、それは即ち「医療リソースの最適化を図る」ことに他ならないが、この一事をサイエンスの力で実現するのだ、と。日本人集団の新型コロナウイルス感染者の死亡(重症化)率が圧倒的に低いことに着目し、ゲノム解析によって「重症化因子を同定し重症化予測システムを構築する」こと。目に見えぬ未知の敵との闘いに備え、小川誠司君(がんの起源の解明で世界をリードするがんゲノム解析の第一人者)、金井隆典君(免疫学・腸内細菌学・自律神経学を融合させた多臓器関連研究の世界的権威)、宮野悟君(ゲノム研究の世界的権威)、岡田随象君(遺伝統計学を切り開いた若手研究者)ら科学界のスーパースターが中心となり、様々な研究分野のトップサイエンティストが横断的に結集し、緊急プロジェクト『コロナ制圧タスクフォース』(https://www.covid19-taskforce.jp/)が立ち上がった。
彼らを突き動かしたものは、科学的真理を探究しようとする“燃えるような情熱”、“逞しい意志”、“優れた創造力”、“子供のような好奇心と冒険心”であること以上に、私心無く社会のために尽くしたいという高潔な志であると得心したその瞬間、公に尽くしたいという私の情熱を大いに刺激した。私のミッションは関係省庁との調整、メディア戦略、資金調達、基幹病院の組織化、ウェブサイト制作など、要するにサイエンス以外のすべてだが、此れほど社会的意義のある活動に参加できたことを心から感謝している。
スタートして僅か数ヶ月を経て、タスクフォースの名のとおり、様々な分野の科学者や医療従事者を中心に、官僚、財界人、メディア関係者、法律家、文化人、芸術家、宗教家に及んで支援と協力の輪が広がる中で、新型コロナウイルス研究の一丁目一番地、即ち感染患者のエントリー症例を収集できる我が国最大規模の病院ネットワーク(検体バンク)が出来上がった。医療現場の最前線で活躍する臨床医の善意と努力の賜物である。
一切の妥協を許さない真の科学者の奮励努力によって獲得される知見を以て、私たちは必ずや国際社会に貢献できると確信している。
最後になるが、企業小説の巨匠、高杉良氏が最後に手掛けた作品「雨にも負けず ―小説ITベンチャー」が此の秋頃、大幅加筆された文庫本として出版される予定だと聞いている。その最終章で『コロナ制圧タスクフォース』が立ち上がる瞬間の詳細な情景描写がでてくると思うので、ご興味のある方はご笑覧ください。