世代を超えて、時代を超えて ―ある日、ある時、先輩と後輩―(第二回)

第5章「人生目標の設定時期はいつなのか」


博士論文公聴会のあとはパーティーを行うのが風習です。同僚や友人たちと8時間飲んで食べて踊りました。(植田氏)

植田:30歳くらいまでであれば人生の進路は十分変えられるのではないでしょうか。今の私の指導教員も、30歳頃に研究分野を大きく変えられました。私は研究者としての道を固めつつありますが、分野はまだまだ変わるかもしれません。

菅:私の場合に放射光を選んだのは丁度30歳の時でした。人生は何歳になってもそうだと思うのですが、選択を求められる時が何回かめぐってくるというのが私の体験です。その時にそれまで自分が蓄積してきたKnowhowを如何に有効に活用できるかが大切だと思います。そのためには平素から一途に思い込むよりは時々左右にぶれる体験もしておいて、その中でああ自分の生き方に適しているのは、この生き方だなと日ごろからFlexibleな体験をしておくことが重要ではないかと思っています。

植田:しかしいつかどこかでは腹を据えて道を選択する必要があるのではないでしょうか。いつも迷っていたのでは前進できないのではないかと思います。

菅:私が言いたかったのは若い時には、色々迷いがあって、いろいろ試みても良いのですよと言う意味です。ある年代になったら植田さんの言うように迷いなしに進むことも大切になりますね。

植田:進路の選択と人生目標の設定に関して、先ほど言い忘れたのですが、大学時代に大切なことの一つに、何かに、誰かに、打ちのめされる体験をすることが挙げられると思います。私の場合は大学1年生の時に数学の授業で打ちのめされる体験をしました。そこから自分の思っている概念を打ち壊して、新たな考えを築いて行く。その結果、夢が変わってもかまわないと思います。年を取った時に初めてそのような体験するとショックが大きくて立ち直るのに時間がかかると思います。ですから若い時に体験しておくことが良いと思います。

菅:大学でそのような体験をすることは良くあるのではないでしょうか。

植田:私の場合は数学でした。数学なのに数字を扱っていない。あれは完全に哲学でしたね。しかしそれが今の選択につながっています。

菅:まさに私も理1で受けた数学の講義からこれは哲学であって自然科学ではないなと思い、数学科への進学はその時点で完全に自分の中からは消しました。

 

第6章.「ドイツで感じる日本との違い」

植田:ドイツ人のほうが日本人よりも意思決定が早い気がします。フットワークが軽いと言うのでしょうか。大学の研究室でも、企業でもそうですね。

菅:ドイツの企業人とも話す機会があるのですが、日本の企業とコンタクトしても意思決定が遅すぎる。日本企業Topの決断を待っていては時間がかかりすぎるので、台湾や韓国企業と手を組むことになってしまうと言うようなことを言っていました。

植田:ドイツの場合は若い人でも意思決定できる権限があるように思いますがどうですか。

菅:そうですね。一般論としてそこまで言えるかは分りませんが、若い人にでも、ある範囲での決定権をゆだねると言うことは大いにあるようです。若い人が会社を代表して来日するような場合には、決定権を持って来ていると考えられるかもしれません。

植田:ドイツでは男女を問わず、若くても自己主張をしますよね。

菅:外国では自己主張しなければ認められませんよね。

植田:それは研究者にも必要な資質ですよね。

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