世代を超えて、時代を超えて ―ある日、ある時、先輩と後輩―(第一回)

第2章「大学と学部を如何に選択するか?」

菅:これは受験生にとっては大きなテーマですね。植田さんはどのようにして東京大学の理科Ⅰ類を選び、またそこから農学部に進学することになったのですか?

植田:私は実は初めは志望が京都大学だったんですね。もともと科学者を目指していて、京都大学がノーベル賞受賞者を多く輩出しているという理由で、憧れを持っていました。逆に東大にはあまり良いイメージは持っていませんでした。勉強だけやってきたような人だとか、鼻高々な人がたくさんいるのではないか、などという先入観を持っていました。高校二年生の時に先生に、東大を志望するように勧められ、東大を志望届けで出すようになってはいたものの、ささやかな反抗も兼ねて常にその下に京都大学を忍ばせていました。転機があったのは高校三年のときでした。大学でも部活でソフトテニスを続けようと思っていた折、両大学の対抗戦で東大が勝っているのを知って、じゃあ東大を志望しよう、と思ったわけです。きっかけはテニスです。あまり参考になりませんね。

菅:そうですか。

植田:またもうひとつの観点としては、同じことが勉強できるのであれば、より難しい大学を望むのが良いのではないかと思いました。周囲の学生の勉学意識に差があるのではないかと考えたからです。

菅:実際にはどこの大学学部でも、意欲的に頑張る人から、あまり意欲的に学ばない人まで幅があるはずで、その中でどういう交流関係を築くかという方が大切なような気がしますが?学生同士が気楽に交流できる雰囲気、先生とも気楽に話し合える雰囲気こそが大切だと思います。

植田:私の場合は大学1年生から軟式庭球(ソフトテニス)部に入り、そこで仲間と話し合える場所に恵まれました。

菅:私の場合は大学に入って2-3ヶ月でこういう勉強でよいのかなーと疑問が湧いてきて、学生相談センターに相談に行ったことがあります。特に解を見つけたわけではないですが、そういう開かれた大学の対応は必要ですね。

植田:厳しい環境に身をおいて、そこから這い上がって行くというのが私の哲学です。鶏口となるも牛後となることなかれということわざがありますが、これは必ずしもあてはまらないと思います。最初は牛後でも良い。そこから這い上がって頑張るのが私の生き方です。そこから上を眺めて頑張ろうと言う気になることが、私にとっては一番の励みになります。東大に入ると周りはとても優秀な人ばかりに見えますから、そこでくじけずに、そこをスタートとしてがんばっていくのが、自分を磨く一番良いやり方でした。厳しい環境に身をおいてそこからTopまで這い上がりながら自分を鍛えるというのが生き方です。1年生の頃は、部活でも勉強でも、周りに付いていき追いつくのに苦労しました。東大に入って知的刺激を受け、天才的な学生にも出会い、その中で自分のIdentityを保ち、生きる道を探すということが出来たのは大学に感謝です。この苦しい時期を大学時代に体験できたのは今振り返ると幸せだったと思います。

菅:確かにそう言う面はありますね。私の場合は牛後になるのは避けて鶏口と迄は行かないまでもまあ上位にいける学科や分野に身をおいて、そこで頑張ろうと言う哲学でした。受験勉強と大学での勉強のギャップを味わい悩むのは誰しも大学1,2年次での共通な体験なのではないでしょうか。ここをどう前向きに乗り越えていくかが大切ですね。そう言うときに先輩に相談できたりすれば、ずいぶんと助けになりますね。当時は朝日高校出身の東大生の同窓会飲み会が毎年本郷で開かれていました。

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